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大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)176号 判決

控訴人 株式会社協和銀行

被控訴人 新田鉄治

主文

原判決を取消す。

被控訴人の訴を却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する」との判決を求めた。被控訴人の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

控訴代理人は答弁として、

一、控訴人が被控訴人からその主張の定期預金証書(定期預金通帳の意味と解せられる-以下同じ)の寄託をうけたことは否認する。

本件無記名定期預金の預金者は訴外神沢宏であり、控訴人はその直後に右定期預金を担保として同訴外人に金十九万円を貸付けたが、その際定期預金証書の差入をうけていなかつたので、昭和二十四年四月二十八日に至り控訴銀行鴫野支店長藤井善次郎が被控訴人からその交付をうけたものにほかならない。かりに右の交付に当つて藤井善次郎と被控訴人との間に被控訴人主張のような寄託契約がなされたとしても、それは藤井が個人として契約したものであつて、控訴人の何等関知するところではない。

二、しかして、訴外神沢宏に対する前記貸金の弁済期は、本件定期預金の満期日と同日の昭和二十四年四月二十八日となつていたところ、該期日に控訴人と神沢との間で右貸金債権と預金債権とを対当額において相殺し、預金残額と同日までの利息金千五百二十円を控訴人より神沢に支払つて預金債権は全部消滅に帰したから、該定期預金証書の所有権は当然に発行者たる控訴人に回復され、控訴人は右所有権に基いてその所持人に対しこれが引渡しを請求し得ることになつたわけである。従つて、たとえ被控訴人主張の寄託契約が存するとしても、控訴人の有する上叙引渡請求権との関係において、被控訴人は控訴人に対し寄託契約に基く返還請求をなし得ないものである。何となれば、所有権に基く引渡請求権はなにびとに対してもこれを行使することを得べく、契約上の債務を排斥し得べき関係にたつからである。

三、さらに仮定抗弁として、本件寄託契約は法律行為の要素に錯誤があり無効であると主張する。控訴銀行鴫野支店長であつた藤井善次郎が上叙被控訴人から本件定期預金証書の交付をうけた際、控訴銀行を代理して被控訴人とこれが寄託契約を締結したとせば、それは同人が当時本件定期預金証書の所有権が被控訴人にあるものと誤信したからであつて、もし前叙の如く控訴人がその所有権を回復していたことの認識があれば、決してかかる契約をしなかつたであろうことは容易に首肯せらるところである。かかる重要な事柄についての誤認は法律行為の要素の錯誤であつて、本件寄託契約は無効であるから、これが有効なることを前提とする被控訴人の本訴請求はこの点からも失当である。

と述べた。

証拠として、被控訴代理人は甲第一号証を提出し、原審における証人藤井善次郎の証言及び被控訴本人尋問の結果を援用し、乙号証は全部その成立を認め、同第十一号証の二を利益に援用すると述べ、控訴代理人は乙第一号証ないし第四号証、同第五号証の一ないし五同第六、七号証の各一、二同第八、九、十号証同第十一、十二号証の各一、二同第十三、十四号証を提出し、甲第一号証の成立は不知と述べた。

理由

成立に争のない乙第六号証の二同第十一号証の二、原審における証人藤井善次郎の証言および被控訴本人の尋問の結果、ならびに右藤井の証言に徴して真正に成立したものと認むべき甲第一号証によれば、昭和二十四年四月二十八日被控訴人より控訴銀行鴫野支店長藤井善次郎に対し、当時被控訴人が所持していた本件無記名定期預金通帳を返還の時期を定めずに寄託した事実を認めることができる。控訴人は右通帳の受託者は藤井善次郎個人であつて控訴人ではない旨主張するが、前記藤井善次郎の証言によれば、同人が被控訴人から本件通帳を預かるに至つたいきさつは、後に認定するように、控訴銀行鴫野支店は本件定期預金の満期日たる昭和二十四年四月二十八日預金者と認められる訴外神沢宏との間でこれが決済を了したにもかかわらず、被控訴人が預金通帳を所持し、自分が預金者であると称してその返還に応ぜず、しかも当日控訴銀行本店から検査員が調査に来ていた関係もあつて、支店長の藤井としては至急右通帳を銀行に回収する必要にせまられていたので、やむなく一時これを預かることにして被控訴人からその交付をうけたものであることが明かであり、右の事実と藤井の原審における「私は証書は支店長として預かりました」「私は私の立場として困るので一応銀行へ回収したのです」などの証言とからすれば、藤井は控訴銀行鴫野支店長として控訴銀行のために本件預金通帳を預つたものであることほとんど疑の余地がない。

よつて進んで控訴人の抗弁について判断する。

まず本件無記名定期預金の預金者は誰であるかについて考えてみるに、成立に争のない乙第五号証の一ないし五同第六、七号証の各二同第十一、二号証の各二に、前記藤井善次郎の証言および被控訴本人の尋問の結果を総合すると、訴外神沢宏は昭和二十四年一月二十七日頃被控訴人に対して控訴銀行に無記名定期預金をなすべく勧誘し、その承諾を得て、同月二十八日被控訴人と訴外万雲政雄とを伴つて控訴銀行鴫野支店に赴き、左浦吉男なる仮名を用いて、右万雲とともに同支店長藤井善次郎に面接の上、「自分は万雲に金員を貸与することになつているが、個人間の貸借では弁済期日に確実に支払をうけられない虞があるので、まず控訴銀行に無記名定期預金をして、これを担保に控訴銀行から金借し、それを万雲に貸付けることにしたい」旨の申入をなし、藤井がこれを応諾したこと、そこで神沢は右支店の表に待たせてあつた被控訴人を自己の使いの者の如く仕立てて店内に呼び入れ、被控訴人からその所持していた株式会社大和銀行梅田支店振出の金額二十万円の小切手一通を係員に交付したので、藤井は右二十万円を前記神沢により申入のあつた趣旨の預金として受け入れ、同日を預入日とする金額二十万円満期日同年四月二十八日宛名無記名殿なる期間三箇月の本件定期預金通帳(甲第一号証)を作成して神沢に交付し、被控訴人がその場で神沢から通帳を受取つて帰宅したこと、次で神沢は前約に基いて右定期預金を担保とする貸付方を藤井に要求したので、藤井はその預金通帳は後刻かならず持参するとの神沢の言明を信用して、同人から左浦名義の上叙定期預金を担保に差し入れる旨の担保差入証を徴した上、金十九万円を貸与したことなどの事実を認めることができる。そして以上の事実からすれば、右無記名定期預金の預金者は右神沢宏であると解するのが相当である。

けだし無記名定期預金なるものは、たんに預金証書の上に預金者の氏名を表示しないというに止まらず、預金者がなんびとであるかは一切銀行においてあずかり知らないことを建前とするものであつて、必ずしも現実に金員の預け入れ手続をした者が預金者であるとは限らず、自己の出損により、銀行に対して本人みずからまたは使者代理人機関等を通じて預金契約をした者をもつてその預金者であるとするのほかはないが、右はいわゆる無記名定期預金が特段の事情を伴わず、上叙の如き本来的形態において行われた場合のことであつて、現に預け入れに当つた者が明示的または黙示的に自己の預金であることを表示してその申込をなし、銀行でこれを承諾することによつて預金契約が成立したような場合には、右預入行為をした者を預金者とする無記名定期預金契約がなされたものというべきである。これを本件についてみるに、神沢宏は前記二十万円の無記名定期預金の預け入れに当り、控訴銀行鴫野支店長に対し、自己が控訴銀行から貸付をうけるにつき、その裏付担保とするためまずこれが預け入れをなす旨を告げ、同支店長の承諾を得たものであることはすでに前段認定のとおりであつて、これはとりも直さず、神沢において本件定期預金の預金者が自己であることを明示してその預け入れをしたものというべく、従つて右預金債権者は神沢宏その人であると認めるのを相当とするからである。

ところで成立に争のない乙第五号証の二および四、同第六、七号証の各二前記藤井善次郎の証言等によれば、本件定期預金の満期日に当る昭和二十四年四月二十八日控訴人は、神沢宏との間で前記神沢に対する十九万円の貸金債権と本件定期預金債権とを対当額において合意相殺の上、預金残額一万円と利息金千五百二十円を神沢に支払つて本件定期預金の元利金全部を完済したことが明かである。もつとも前記乙第五号証の三によると、本件無記名定期預金契約については、預金の支払をうけようとする者は、支払請求書に記名調印の上これに預金通帳を添えて銀行に差し出し、銀行は右通帳の持参人を預金者とみなし、届出印鑑と照合して支払をすることの規約があるのに、神沢は当時右預金通帳を持たず、却つて被控訴人がこれを所持していたことは前叙のとおりであるが、右の規約は、銀行がこれに従つて支払をしたときは、たとえその相手方が真の預金債権者でなかつたときも、賠償の責を負わないとする免責事由を定めたものにほかならないと解すべきであるから、すでに本件定期預金の預金者が神沢であると認められる以上、同人が預金通帳を所持しなかつたからといつて、真正の預金債権者との間でなされた前示決済の効力に何等の消長をきたすものではない。

そうすると、控訴人は右定期預金債務の完済を遂げたことによつて、該預金の証書たる本件定期預金通帳の所持人に対しこれが返還請求権を取得するに至つたものというべく、従つて被控訴人主張の寄託契約がなされた当時において、右預金通帳はすでに被控訴人より控訴人へ返還さるべき関係にあつたことは明かであり、いまかりに該寄託契約に基いて被控訴人がその返還をうけたとしても、その瞬間において再びこれを控訴人に返還しなければならないものであるから、かかる事情の下においては、被控訴人は控訴人に対して本件定期預金通帳の返還を求めるにつき何等法律上の利益を有しないものといわねばならない。

よつて原判決を取消し、被控訴人の訴を却下すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 加納実 小石寿夫 岡部重信)

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